なべTEAの運転する車で次に向かった場所は田野倉駅周辺(禾生-田野倉間、田野倉-上大月間)でした。中京支部の事前調査によれば、そこでも富士山をバックに撮れる・・・ということで向かってみると…。

富士急行線

おお、確かにここでも富士山がバッチリと写っています!
・・・ただ架線柱が車両に被ってしまう点、線路脇の柵が少々高めな点から、寿―三つ峠の撮影地よりは綺麗な写真を撮るのはちょっと難しそうな感じです。(※それゆえか同業者の方の数もほとんど見かけませんでした。)

相変わらず露出に苦戦しているのがバレバレな写真ばかりではありますが・・・【※他のメンバーよりもテクニックも機材もしょぼいので何卒ご了承ください(笑)】とはいいつつ、違った場所で「富士山と富士急行線」の写真を撮ることができたので大満足です。

富士急行線

昼食を取った後は歩いて上大月駅方面へと下っていき、これまた有名な撮影地に到着しました。
列車の来る時間帯によってバラバラだったものの、こちらの撮影地では結構な数の同業者の方の姿を見かけました。

見上げる、見下ろす、同じ高さで・・・と実に様々なアングルで富士急行線の列車を撮影することができます。

・・・それにしても、この日は富士急2000系「パノラマエクスプレス(フジサン特急)」と6000系ばかりを撮影す結果となりました・・・私にとっては一番理想的なパターンであるのですが(笑)

恐らく富士急2000系をターゲットに絞って、移動や昼食といった行動をしていたからだと思うのですが、徐々に数を減らしつつも、まだまだ主力車両である元京王電鉄5000系こと1000系の姿をほとんど見ていない、というのはどこか違和感を覚えます。

ちなみに朝早くから撮影していた中京支部の2人は京王電鉄のリバイバルカラー編成など様々なカラーバリエーションの編成を撮影した、というのですが私は結局前回の記事で載せた「富士登山電車」しか撮影することができませんでした(笑)

さて話を戻しまして-撮影を終えた後はpierre2427が「大月駅で撮影したい!」ということで再度車へと戻り、一路始発駅の大月駅へ-。

富士急行線 パノラマエクスプレスアルプス

大月駅周辺もまた、大変多くの方がホームから、また駅の敷地外から思い思いに写真を撮られていました。・・・改めてこの車両の人気の高さを実感します。

私はJR東日本時代、「パノラマエクスプレスアルプス」として活躍していた姿を見た事はほとんどありませんが、塗装はもちろん、グリーン車マークや車番の標記、前面のロゴなどを見る限りではほぼ完璧に当時の姿を再現されているように見えました。

日本最後の?直流急行型電車の最後の姿を私なりに感傷に浸りつつ、メンバーたちと一緒に撮影しました。

朝から徹底的に富士急2000系を撮影した後は・・・issと私が「行きたい場所がある!」ということで中京支部のメンバーにお願いし、その場所へと目指すべく、大月を後にして再度、河口湖方面へと山路を再び上っていくのでした-。


⇒次回へ続く